牧水紀行

和歌 と 美酒 と
  若山牧水生誕120周年記念ツアー(牧水訪問団)
    平成十七年十一月二十日~二十三日(三泊四日の旅)の記録

  宮崎カーフェリーの大型客船「みやざきエキスプレス」は二十一日定刻八時二十分、シーガイヤの建物を右手に眺めながら宮崎港に入港した。 和歌山県下各地からの参加者で編成した牧水訪問団一行二十五名の宮崎の旅の始まりである。
通常の観光旅行であれば、ご当地の有名観光地をバスガイド等の案内で回るのだが、今回は、ご当地で観光ミニコミ誌を主宰されているーロードプラン様のご好意で、行程等一切をお願いしているので、宮崎に着きはしたがミステリーツアーのようで、この先何が起きるのか予想もつかない。
  訪問団のメンバーは、逸木団長(粉河寺管長)、山本副団長(野上町牧水歌碑建立委員会委員長)、池田副団長(日の岬顧問)の夫々牧水の歌碑に関係する方々に役員に就任頂き、訪問団幹事を私(渥美)と、今回ツアーの主催旅行社である御坊南海バス(南海トラベルサービス)の岡本営業部長がお引き受けした。
  団員は、新宮市の山田さん、白浜町の山本さん、下滝さん、野中さん、船戸さん、南部町の高田さん、美浜町の谷輪ご夫妻、御坊市の吉川さん、
和歌山市の中田さん、野上町の山本副団長夫人、今野さん、角谷さん、馬谷さん、池上さん、桃山町の野口さん、打田町の北田さん、粉河町の逸木団長夫人それと大阪府高石市から竹野内さん、奈良市西大寺の西尾さん、計二五名である。





下船後すぐに「ひまわり観光」の中型バスに乗り込む、しばらくしてiーロードプランの福永さんと、助手の柿木(かきのき)さんがマイカーでかけつけてくれて団に加わる。これで大船に乗ったような気持ちだ。
車内で団員の自己紹介などやっている内に、バスは宮崎市街を抜ける。iーロードの福永さんに土地毎の特産品などの解説を頂く。
 最初の目的地は尾鈴山の麓にあって、日向灘を眼下に展望する景勝地にある都農町・都農ワイナリーである。
 ここで日向牧水顕彰会の渡辺会長と焼酎蔵元研究家の若松さんと合流する。お二人は今年五月に和歌山へお越し頂いたメンバーである。今回の旅ではiーロード様に並んで、この後、ツアーを通じてひとかたならぬお世話になることになる。
 駐車場に牧水の歌碑が建てられている。   
 
よりあひて ますぐにたてる あお竹の
 やぶのふかみに うぐひすの啼く  牧水


施設見学は時間の都合でできながったが、展示場フロアで工場長さんから都農ワインと都農ワイナリーの説明を頂いた。大いに地域興しなどの参考になる内容であったが、残念ながら写真撮影などで忙しくしていたので、私自身は折角のお話を十分聞くことができなかった。かわりにホームページで同施設と都農ワインを紹介させて頂く。
 美味しいワインを試飲させて頂いたお礼も忘れてはいけない。

 『尾鈴連山と日向灘が出会う地、都農。この土地が秘める「未知の力」を信じたひとりの若者によって、尾鈴ぶどうの物語りは始まる。その人の名は「永友百二」。
師範学校に進むより、農民として生きることに夢を託した「信念の人」だった。
稲作に頼らない豊かな農業経営を理想とした「百二」は、十九歳で梨園を開園する。
雨の多い都農で果樹栽培は不可能……誰もがそう思い込んでいた。だが彼は農業試験場や果樹園芸専門誌の指導を受け、栽培技術を身につけていく。
雑木林を開墾し、苗を育て、ついには屋敷田にも梨を植栽。「田んぼに木を植えるなんて」と周囲は非難したが、研鑚に研鑚を重ね、やがて東京農大主催の全国梨品評会で入賞。二度にわたって一等を獲得している。
こうして梨栽培を軌道に乗せると、新たな試みに挑戦。終戦直後からぶどう栽培に着手した。
昭和二十八年には県内で初めて巨峰を植付。
この年、「カトーバ、キャンベルぶどう酒仕込み。マスカットベリーA 二貫収穫」の記録が残されている。それから五年、巨峰は高値を呼び、注文殺到。
視察者が相次ぎ、ぶどう農家も増えていった。かくして、ひとりの夢がみんなの夢にとつながっていく。
雨、蔓割病、台風、塩害と戦いながらも生産量をのばし、昭和四十三年には都農町ぶどう協議会が発足。
その後も彼は接木・挿木に技量を発揮し、新品種開拓に情熱を傾けた。巨峰にスーパーハンブルグを交配した「尾鈴」、同じく巨峰に間瀬八号をかけ合わせた「日向」は、昭和五十五年、農水省に品種登録されている。
一本の苗と一本の台木から巨峰を増やし、尾鈴ぶどうを誕生させた伝説の人。その志を継いで、都農は新たな夢を紡ぎ続けてきた。
県下有数のぶどうの里から、ワインの里へ。そして固有のカルチャーを発信する町へ。みんなの夢がいま、ハーモニーを奏で始める。』http://www.tsunowine.com/



都農を後にして、一行は日向市細島日向岬の馬ケ背 に向かう。ただ、馬ケ背見学は徒歩による時間を多く要することから、馬ケ背近くで近年人気のある景勝地「クルスの海」に変更することとした。
 クルス=クロスは眼下の海が岩礁で大きく十字を描き、そばの口型の地形と並べて見ると、丁度漢字の「叶(かなう)」に見えることから、この海を眺めて願い事をすると叶えられるとのことである。私の場合は訪問団による宮崎旅行が叶ったことから、既に叶っていたのだが。

 インターネット・ホームページhttp://www4.ocn.ne.jp/~wakacha/kurusu.htmに紹介文があるので掲載します


『クルスの海
 ビューポイントから見えるクルスの海は柱状岩が波の侵食で削られて東西200M、南北220M、高さ10Mにわたって裂け十文字に見えることからクルスの海と呼ばれています。
クルスの海は十文字に裂けた岩の外に小さな岩があり その小さな岩と十文字を合わせると「叶」という文字に見えてここを訪れた者の願いを叶えるという伝説があります。
 ビューポイントには伝説を象徴するようにして、人と人が力を合わせて願いを叶えるという意味をデザインし「クルスの鐘」が建ててあります。
 恋人同士、家族などで行った時は鐘を鳴らしてお祈りをしてみて下さい。願いが叶うかも。』

 日向岬へは再度戻ることにして次の目的地延岡市に向かう。

延岡市では宮崎で二軒しかない清酒の醸造元「千徳」さんで社長の田丸さんと、専務さん、杜氏の門田さんに清酒の醸造工程をご案内頂くと共に、工場併設の「花かぐら館」でお酒の試飲とショッピングをさせて頂く。牧水の酒にちなんだ歌の書など、牧水関連の商品も置かれている。試飲の冷酒や甘い発泡酒をかなり飲んで良い気分になる。
千徳さんのホームページでの紹介文です。
 『世界各国、優れた文化を持つ民族は、その国独自の酒を持っている。我が国、日本は主食である米を原料に、移り変わる四季を持つ風土と日本人の繊細な美意識が世界に誇る日本酒(清酒)を造り上げた。ですから全国各地に地酒としての造り酒屋が点在しているが、その酒蔵の数も戦中、戦後と極端に減少しております。
アユの里宮崎県延岡市で生まれた伝統の銘酒、千徳を代表する「大吟醸 千徳」「純米吟醸 夢の中まで」など、各方面で高い評価をいただいています。http://www.sentoku.jp』

昼食は延岡市内を流れる五ヶ瀬川の堤に設けられた「鮎やな」での鮎料理です。
 千徳の田丸社長もご同席頂き、千徳の冷酒をたくさん頂き、美味しい鮎料理を食べて(虎屋の上田社長の口利きでご配慮頂いたそうです)もう牧水文学どころではないのです。 五ケ瀬川に架かる「やな漁」の大掛かりな仕掛けを田丸社長にご案内頂きました。対岸に見える青い屋根は牧水が通った(旧制)中学校です。
 ホームページから『鮎どころとして知られている清流五ヶ瀬川。ここにかかる「やな」でとれる落ち鮎を、河原で趣ゆたかに鮎料理にしてその場で味わうことができます。
延岡水郷やな:10月1日~12月4日
川水流やな :10月1日~12月4日 http://www.city.nobeoka.miyazaki.jp/syoko/syogy/ayuyana/』


「行縢山(むかばきやま)」に向かう、山麓にある牧水の歌碑と「ひでじビール醸造所」を見学することになっている。
 歌碑の方は少年自然の家が休館日に当たり行けなかったため、ビール醸造所だけの見学となった。
 若い女性2名とこれも若い工場長の3名の方が運営していて、リーダー格の女性から説明を頂いた。
 お礼の意味を込めて、ホームページ広告を掲載しておく。
 『少量手造地ビールの先駆者である「宮崎ひでじビール」は熟練した国内外の醸造技術者たちの卓越した創造力により生まれ真のビール通の方々の賛同のために捧げられます
http://www15.ocn.ne.jp/~nobekan/prod/hideji/hideji.html http://www.hideji-beer.jp/ 』
 なお、行縢山にある牧水の歌碑は次の歌である。
  けふ(今日)もまた
   こころの鉦をうちならし
    うち鳴らしつつ あくがれて行く   牧水 




延岡市内に入り、城山へ行く。
 女性4名、男性1名のボランティアガイドの方々が城の歴史や牧水のことを解説してくれる。リーダーの吉田千鶴子さんの母親は那智勝浦町のご出身で我々に親近感を感じるとのこと。


   なつかしき 城山の鉦なりいでえぬ
    おさなかりしひ日 聞きしごとくに  牧水
 歌碑の前でボランティアの女性の方達がコーラスでメロディを付けて歌ってくれた。
 山頂の一角に鐘付堂があり、今も約2時間ごとに時を告げる、人の手にて鐘をついているとのこと。
 秋の短い陽が翳ってきたのにせかされるように、ボランティアの方々の見送りを受けながら今日最後の目的地、細島の米ノ山に向かう。途中、若き日の牧水が思いを寄せた、薄命の才女、「お秀」の墓の傍らを通る。(渡辺先生の情感溢れた解説で、団員はもうすっかり牧水の世界に浸っている)

  ふるさとの お秀が墓に 草かれむ
      海にむかえる 彼(か)の丘の上(へ)に  牧水




残照の細島にある米ノ山山頂に上る、日向灘が一望され風景絶佳の地である。
 ここにも牧水の歌碑が建つ。

 日向の国 むら立つ山のひと山に
     住む母恋し 秋晴れの日や      牧水


       

ホテル日向着、最近民営に変わり山本支配人以下、若い人達で運営している。小奇麗な良いホテルである。
  久しぶりの畳の部屋でくつろぐ。入浴の後、宮崎の方々との合同宴会の席に向かう。
 全く初めてのことで、シンミリ・ボソボソと盛り上がらない宴席になるのではとの懸念もよぎったのだが、さすが日向・延岡の選りすぐりの名士の方々がお集まり頂いたとあって、(宮崎市から宮崎短歌協会会長の梅崎先生も遠路ご同席くださった)逸木団長の挨拶、山本副団長の発声による乾杯の後も大いに盛り上げて頂き、特に虎屋の上田社長が加わってからは、全く楽しい宴会となった。(そんな訳で上田社長の名司会や、渡辺会長の中締め挨拶の姿を写真に収めることすら忘れてしまった)

                     

翌朝は朝風呂を六時に繰り上げて頂き、六時四十五分からの朝食、七時三十分出発で近くの「日向のお伊勢さん」として信仰を集める「大御神社」、そして本ツアーのメーンの訪問先である東郷町の牧水生家と牧水公園に向かう。池田副団長の風邪も少し収まり全員元気。

 日向のお伊勢さん「大御神社(おおみじんじゃ)」はホテル日向から車で五分ほどの近くにある。柱状節理の切り立った荒々しい岸壁に接して清楚なたたずまいの社殿がある。
 宮司の新名(にいな)光明さんの豪快さに比肩するくらいの豪快なお話しを聞くことができた。
撮影に追われて十分にお聞きしていなかったのだが、はるか昔、まだ日本列島がユーラシア大陸と繋がっていたとき、大陸の水を集めた大河が九州を横断する形で流れていて、ここ、大御神社はその河口に当たる。砂礫が積もり積もって巨大な岩礁となった。(さざれ石)
 一方、今も神社の沖合いの海底では火山活動が盛んで、太古の時代の火山活動による造山活動により「さざれ石」は地上に偉容を現すこととなった。さらに溶岩流は柱状節理などの奇岩を生み、
豪快な景観が広がることとなった。



虎屋の上田社長ご夫妻、内山建設の内山会長、新名宮司、(皆さん五月に和歌山を訪問された団のメンバー)のお見送りを受けて、バスは東郷町に向けて出発した。

 牧水生家は山間(やまあい)にありながらも耳々川が大きく蛇行し、田園風景が広がり、はるか向こうには尾鈴の山並みが見渡せるその川のほとりに建つ。
 修復が施されよく保存されている。
 人が何かを創造するには、大いなる自然や大勢の家族に囲まれて育った幼少期を持つことが必要なのではないかと、思ったりする。渡辺先生に先導されて牧水の歌碑が建つ生家の裏山に登る。

 ふるさとの 尾鈴の山のかなしさよ
    秋もかすみのたなびきてをり                 牧水
 父の死後、ふるさとに残るよう勧められるが、不義理は承知でも中央における文学の志は捨てられない、そんな懊悩の中で生まれた歌だとのことである。
 このあと川向こうの牧水公園と若山牧水記念文学館に向かう。
 公園に入ってすぐ右の広場に旅装の牧水の銅像が建てられている。
虎屋の上田社長ご夫妻、内山建設の内山会長、新名宮司、(皆さん五月に和歌山を訪問された団のメンバー)のお見送りを受けて、バスは東郷町に向けて出発した。



 渡辺先生の話では銅像の作者は後ろ姿に苦労したとのことである。そう言えば背中で感じさせるのは大変なことだ。
 故郷に思いを寄せる牧水の歌で、他の牧水記念館には無いと那須文美館長が昨日の宴席で紹介された、幼少期の牧水(若山 繁)を可愛がってくれた近所に住むおじさんに、著名人になってからの牧水が書き与えた書など沢山の資料が展示されている。
 


  

船の出発の時間から逆算するとここで多くの時間を費やすこともかなわず、後ろ髪を引かれる思いで、記念館をあとにする。
 次の目的地は日本の黎明期・九州王朝の址(あと)をしのぶ西都原(さいとばる)古墳である。がその前に、牧水が通った坪谷小学校を訪問することとなった。
 渡辺先生のお手配で校長先生・教頭先生・六年生の全員(四人)が出迎えて下さった。小学校校庭に建てられた牧水の歌碑の前で子供達四人がそれぞれ牧水の歌四首を朗詠してくれた。

   ほととぎす 鳴くよと母に起こされて
             すがる小窓の 草月夜かな  牧水

 コチコチに緊張して一生懸命歌ってくれる姿に、こちら側のかっての戦前の小学生達は往時を偲んで感激しきりだった。
 美しい日本の心は、その風景と共に、いったい、どこへ行ったのだろうか・・・と、思っていたら、九州の山里に残っていた。

国の特別史跡「西都原古墳群」に到着する。「このはな館」で昼食後、ボランティアガイドの方にバスへ同乗頂き古墳巡りに出発する。大部分が発掘調査されていないそうだ、日本の皇室や日本民族、古代九州勢力などの実像が顕になるだけに、配慮がいるのだろう。
 コスモスの原が広がり日本離れした雄大さである。
 途中、鬼の窟古墳を見学する。天照の子、天孫ニニギノミコトの后になるコノハナサクヤヒメに惚れた鬼が作ったとの説話がある巨石の磐やである。

ここも十分見るには少しの時間もなく、次の目的地綾町にある照葉樹林の見学に向かう。


 かって日本の大半は照葉樹林で覆われていたのだが、水稲栽培のための切り拓き、工業化・都市化による切り拓き、戦後の植林政策による杉・ヒノキへの植え替えによる伐採などで今や日本の風土はすっかり変わってしまった。
 ここ綾町には気骨ある町長がいて、照葉樹林の伐採を拒絶し、今になってそれが正しい選択であったと評価されている。
 大吊橋を行って帰ってくると早や出発の時間で、最後の目的地「酒仙の杜」に向かう。

雲海酒造が経営するお酒と綾特産品のテーマパークのようなところだが、企業名を前面に出さないところが心憎い。
 今回の旅のテーマが文学散歩のようなものであったため、お土産を買う時間が十分とれなかったので、ショッピング班と、焼酎蔵見学班の二手に分かれる。
 私は見学班に入って、雲海酒造の芋焼酎醸造工程の見学に向かった。美人のガイドさんが案内してくれる。ほぼ全自動で、お芋さんを入れると、蒸したり、醗酵させたり、蒸留したりして焼酎が出来る。あとは熟成させて商品になる。 あの照葉樹林の育んだ水が酒の源となる。
 見学も終わり、お土産も買って、宮崎訪問の全行程が終了した。

余裕をもって宮崎港に向かう。
 港に着いて、二日間お世話になったiロードプランの福永さん・柿木さんと別れる。またこれから東郷町の奥地に取材に向かわれるとのこと。 宮崎港から貝塚港にむかう「フェリーひむか」は巨大な船である。
 乗船して、豪華ホテル並みのお風呂に入り、晩餐では岡本部長が大切に持ってきた宮崎のお酒の残りをたらふくよばれて、広い船室でぐっすり寝て、翌朝五時に貝塚港に到着。
 下船前に牧水訪問団の解団式を行う。
 逸木団長からご挨拶があり、これで解散。皆さんの胸に温かい思い出だけが残りますように。
 最後に改めて、ご参加下さった和歌山の
皆様、心温まるおもてなしをして下さった
宮崎の皆様に、心より感謝申し上げます。
「牧水・心の旅」が、世代を超えて、多く
の方々に受け継がれて行くことを祈念しつ
つ本稿を閉じることと致します。
平成十七年十一月二十七日          訪問団幹事 渥美正道



宴席で名司会をされていたお菓子の虎屋の社長さんです。銘菓「牧水」は有名です。「さざれ石」も新発売。